下北沢シェアハウス2(怪談)

第2章:拡散される女

翔太が最初に投稿した沙羅の写真には、思った以上の反応があった。
「これ、ガチの病み系?」「無加工でこれはやばい」
そんなコメントが並び、いいねの数は夜のうちに三桁を超えた。

翌朝、翔太が笑って言った。

「お前、やっぱすげーな。拡散されたわ。なんか、リアルで怖いって」
「……嬉しいの?」
「そりゃ嬉しいでしょ。お前も嬉しいだろ?」

嬉しい──のかもしれなかった。
スマホを開くと、自分の顔が加工なしで並んでいた。
目の下のクマ、頬のやつれ、髪のバサつき。
その“弱った自分”に、見知らぬ誰かが「いいね」を押してくれていた。

(必要とされてる……のかな)

それは演技でも笑顔でもない。
ただ、弱っているだけの自分。
何もしていないのに、「分かるよ」「こういう子、好き」と言ってもらえることが、どうしようもなく沁みた。

翔太は撮影を日課にするようになった。

「今日はちょっと泣いてみようか」
「目の焦点ずらして、どこ見てるか分かんない感じ」
「そう、無表情。いい、今の顔いい」

部屋の隅で正座する。冷たい床の感触。
涙は出なかったが、感情はときどき麻痺して、顔の筋肉が動かないことがあった。
翔太はそれを「演技力あるじゃん」と言って、写真を切り取っていく。

投稿には、毎回数百のいいねがついた。

あるとき、翔太がコンビニ帰りに言った。

「アカウント、企業からDM来た。次の投稿、案件で五千円だって」
「……それ、私の?」
「いや、俺のだけど。お前出てるし、ちょっと分けるよ。ほら、これ」

500円玉を無造作に差し出された。
受け取ったとき、自分が何になっているのか分からなくなった。

ある日、翔太が新しい服を買ってきた。

「これ着てよ。ちょっと透明感ある感じ出したいから」

白いブラウスと、首元に小さなリボンのついたワンピース。
沙羅は何も言わずに着た。
そうすれば──機嫌が良くなることが分かっていたから。


深夜、ベッドに寝転がりながら、自分の写真にいいねがつくのを見ていた。
誰かが、自分の孤独を見つけてくれている。
誰かが、存在を肯定してくれている。

でも、その「誰か」は翔太ではなかった。
翔太は撮って、編集して、投稿するだけ。
彼の目は、いつもスマホの向こうにある数字だけを見ている。

(でも──)

(それでも……)

優しくされると、少しだけ、嬉しい。
それが“お金のため”だと分かっていても──今の自分には、それすらありがたかった。


「今日は泣ける?」

翔太の声が、部屋の奥で響く。
沙羅は鏡の前でまばたきを繰り返しながら、目元をこすった。
涙は出なかったが、目が赤くなれば、それで十分だった。
翔太はシャッターを切りながら、うなずいた。

「いい……その感じ。壊れかけてるの、すごくリアル」

壊れかけてる。
そう言われたとき、胸がチクリとした。
でも、翔太は笑っていた。優しく、機嫌よく──まるで恋人のように、髪に手を伸ばしてきた。

「今日、出前頼もうか。なんか食いたいもんある?」

こんなふうに、普通に話しかけられると、逃げる理由がひとつ減る。
優しさの裏に何があるのか、分かっていても──
お腹が空いていて、寒くて、ひとりでいたくない夜には、その優しさがとても大きく思えた。

ある夜、翔太のスマホが通知で鳴り止まなかった。

Xの投稿がバズり、まとめサイトにも転載されたという。

「すげぇな、YouTubeでまとめ出したやついるぞ。収益化されてるわ」
「……その動画、私の顔が……?」
「そうそう。“無感情な女”ってタイトルで、コメントめっちゃついてる」
「……」

沙羅は言葉を失った。
“拡散”という言葉が、皮膚の上を這うような気味悪さを持っていた。

次の日、翔太はメイク用品を買ってきた。

「今度はちょっと血色入れたい。死んでる顔に飽きてきたからさ」
「……」
「ほら、最近の“闇かわ”って、ちょっとだけ色味入れるんだよ。やっぱ数字落としたくないし」

彼は冗談っぽく言ったが、目は本気だった。
沙羅はうなずき、チークを頬にのせた。
それは、ほんの少しの血のように見えた。


その夜、沙羅は投稿された自分の写真を、指先でなぞった。
知らない誰かが「すごく刺さる」「こういう人に惹かれる」とコメントしている。
画面の向こうでは、自分が“偶像”になっていた。

でも──
あれはもう、自分じゃない。
目元も、口元も、撮られるたびに“誰かの期待する姿”に変わっていく。
鏡に映る自分と、スマホの画面に映る自分が、別の人間のようだった。

(でも、やめたら私は──誰にも見られなくなる)

沙羅は目を閉じた。
静かに息を吐いて、ひとりきりの部屋で布団に潜り込む。

その夜、夢の中で、自分の顔が鏡の中でゆがんでいくのを見た。
目がひとつ潰れ、口が裂け、肌がノイズのようにざらついていた。

でも、夢の中の誰かはこう言った。

「今のほうが、いいね多いよ」

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