真夏のインプットとアウトプット

コラム
真夏のインプットとアウトプット

真夏のインプットとアウトプット

真夏の午後。外へ出るだけで汗が噴き出し、頭もぼんやりしてくる。道端に生えている雑草は人の背丈ほどまで伸びている。一体どこからそれだけの成長エネルギーを得ているのか、不思議でならない。背中を伝って腰へ流れ落ちる汗は、不快さを一層際立たせた。

そんな日に限って、「何かインプットしなければ」という焦りが心をかすめる。

灼熱のアスファルトと学び

知識を増やすことや刺激を受けること──それは本来、図書館や本屋、カフェでのんびり過ごすことで得られるものだ。しかし灼熱のアスファルトに立ち向かう気力はなかなか湧かない。真夏のアスファルトは革靴の底を溶かすとも聞くし、犬の散歩さえ虐待だと言われる。実に侮れない。

暑さは人からエネルギーを奪い、思考を鈍らせる。

「今日はもう、家で休もうか」と自分に言い訳してしまう瞬間がある。

インプットとアウトプットはダムのようなもの

インプットとアウトプットはダムのようなものだ。放水し続けることが不可能なのは子供でもわかる理屈。放水したければ、まずは貯水するしかない。

ただ、その「インプット」も、無理に外に探しに行かなくてもよいのかもしれない。

日常の体感もまた学びになる

読書や映画鑑賞はもちろんだが、ふとした日常の出来事や暑さの中で感じる「不快さ」さえも、インプットになり得る。人は経験したことをどう切り取るかで、次の表現の素材に変えることができる。

つまり、暑さで図書館に行けなかったことも、もうすでにひとつのインプットなのだ。

暑さを逆手にとる

夏は思考のスピードを落とし、普段見逃しているものを浮かび上がらせる。汗をかきながら飲む缶コーヒーの苦み、木陰に入ったときの一瞬の安らぎ、夜になっても冷めない空気。そうした「体感」もまた、五感を通じたインプットだ。

机に向かって本をめくることだけが学びではない。

結びに

暑さは敵でもあり、実は素材でもある。「今日は何もできなかった」と落ち込む必要はない。むしろ、この夏の体験そのものが、次の物語や文章を紡ぐための種になる。

暑さにうんざりしながらも、私は今日も小さなインプットを拾い集めている。

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